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熊本地方裁判所 昭和36年(わ)530号 判決

被告人 瀬戸慶一郎 外二名

主文

被告人瀬戸慶一郎及び同山村美明をいずれも禁錮四月に

被告人内田政友を禁錮三月に

処する。

但し、被告人らに対しいずれもこの裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人らの連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人瀬戸慶一郎は昭和四年に中央大学法学部を卒業し、台湾総督府等に勤務したが、昭和二十三年十一月頃から新制中学校の教員となり、同三十四年四月より荒尾市立第三中学校に教諭として勤務し、且つ、荒尾市教職員組合(以下荒尾市教組と略称する)の組合員として同教組の職場委員長をしていた者、被告人山村美明は昭和二十三年三月熊本語学専門学校を卒業し、翌二十四年二月同様新制中学校の教員となり、同三十一年五月より荒尾市立第三中学校に教諭として勤務し、且つ、荒尾市教組の組合員として昭和三十五年頃より職場選出の代議員、職場副委員長をしていた者、被告人内田政友は昭和十七年に大分師範学校を卒業し、同二十二年教員となり、昭和三十六年四月より荒尾市立第三中学校に教諭として勤務し、且つ、荒尾市教組の組合員として職場斗争委員をしていた者であるが、昭和三十六年九月二十日頃荒尾市教育委員会においては、文部省が先に発表した「全国中学校一せい学力調査の実施要綱」に基いて、同年十月二十六日に学力テストを実施することを決定し、同年九月二十五日附を以て其旨を管内各中学校長に通達したところ、被告人らはいずれも右実施に極力反対し、同年十月二十四日附荒尾市教組指示第三号「学力テスト用紙の職場への搬入を阻止するため宿日直要員を増加して監視体制を強化せよ」との指示などに従つて、学力テスト実施の前日である同月二十五日の夜から、荒尾市本井手七百番地所在の前記荒尾市立第三中学校内に、他の同中学職員のみならず応援に来た他校関係の荒尾市教組員と共に泊りこんでいた。翌二十六日午前四時二十分過頃荒尾市教育長今田三七男の指示により、同人並びに同中学校長(テスト責任者)月田茂馨、同市教育委員会事務局事務職員(テスト立会人兼補助者)塚本知己の三名が、当日の学力テスト実施の準備として学力調査用紙の梱包二個を、うち一個は月田校長及び今田教育長において、他の一個は塚本職員においてそれぞれ携え、これを同校職員室建物の玄関より校長室に共同して搬入しようとした。被告人瀬戸慶一郎及び同山村美明の両名は、その場に馳けつけ、居合せた荒尾市教組員二十名位と互いに意思を通じて、同建物内職員室附近において、前記の三名に対し、「何の用事できたか」「持つているのは何か」などと口々に詰問したり、面前に立ち塞がつたり、所携の梱包に手を掛けて、引いたり押したり、或いは同人等の身体を小突いたり押したり等して、先づ塚本職員を強いて同建物の玄関口まで押し戻し、今田教育長及び月田校長の両名を、玄関口に近い校長室北側の廊下附近まで押し戻したばかりか、同所附近においてその所携の梱包の包装を破つて、在中の学力調査用紙束を廊下の床上に散乱させたり、蹴やつたり、或いはその一部を持ち去つたり、収集しようとする右両名の身体を突いたりなどし、その間、前以て校長室内に待期していた、被告人内田政友もまた廊下側の組合員らが右のとおり無理矢理に前記三名を押し戻した際、その情を知りながらこれと相呼応し、こゝに同日午前四時四十分頃に至つて右校長室内外の組合員互いに意思を通じ、月田校長が隙を見て校長室北側出入口の扉を外側から引開けようとすると、被告人内田政友において折柄廊下側から応援に馳けつけた組合員栗崎巖と共に室内から右の扉を引いて閉ざしたりなどし、よつて、同日午前五時頃まで前後三十分余りの間被告人らは前記組合員らと共同して前記月田校長らの学力調査用紙の搬入を阻止し、以てその公務の執行を妨害したものである。

(証拠の標目)(略)

(公務執行の適法性)

弁護人らは、本件において公務の執行とせられている月田校長らの行為は違法であり、公務執行妨害罪における公務と解すべきでないとして、その執行の不当、並びに学力テストそれ自体の違法性、テスト実施に至つた文教関係行政機関における違法な権限の行使などを非難するので、考えるのに、元々公務員は国家又は公共団体の機関を組織し、法令によりその職務を行うものである関係上、その職務の執行には、所属官公庁の組織、権限並びに運営、公務員の服務関係等の諸法令により、上下及び相互に複雑な関連がある。しかしながらそもそも公務執行妨害罪において、その保護法益とせられているところのものは、これらの国又は公共団体の抽象的な公務一般ではなく、刑法第九十五条の構成要件の規定によつてうかゞわれる、当該公務員によつて執行せられるところの具体的な公務、そのものを云う趣旨と解せられる。従つて、右公務の執行が上級機関の順次の決定命令指示等によつてなされた場合においても、又、当該公務員の独自の判断によつて行われた場合においても、右公務の執行の前提とせられた執行時の諸条件の瑕疵、殊に上級機関の行為の瑕疵が、果してどの程度当該公務員の職務の違法性と関連があり、どの様な場合に刑法規範上それが公務として保護せらるべきものでない程にこれを違法行為たらしめるかは、もつぱら同罪の行為の客体たるべき公務員を中心として、その地位、裁量権の範囲、その他の具体的執行時の諸条件に照し、右被害法益たる狭義の公務との関連においてこれを判断すべきものである。そこで、詳細に検討すれば或いは執行時の諸条件中に、政治的行政的見地よりして相当でない面があり、或いは行政法その他の規範上においては瑕疵を免かれないものがあつたとしても、なお、それが公務員の抽象的権限に基いて執行せられた行為であり、且つ、一応法定の形式を具備し、一般社会通念に照しても著しく不相当と考えられないものである限り、刑法規範においてはその本質より見てこれを同法によつて保護すべき公務と解するに妨げない。すなわち、このような一応の形式を具備した職務の執行に対しては、右の如き瑕疵の存すると否とに一応かゝわりなくその執行を一応認容すべきであり、これが執行を阻止するにつき法定の救済手段によることもなく、直ちに暴行又は脅迫等を以て妨害するにおいては、もとよりこれに対して公務執行妨害罪の成立を肯認すべきこと当然といわなければならない。これを本件について見るのに、(一)前示の如く今田三七男は荒尾市教育長、月田茂馨は第三中学校長、塚本知己は教育委員会の事務職員であるところ、教育長は教育委員会の指揮監督を受けて同委員会の権限に属するすべての事項を掌るるものであり(地方教育行政の組織及び運営に関する法律、以下地教行法と称する。第十七条第一項)、中学校長は校務を掌るが、(学校教育法第四十条第二十八条第三項)右校務は学校運営上の諸般の事務一般に及ぶ。そうして教育委員会の事務職員は上司の命を受けて事務に従事するものであるから(地教行法第十九条第五項)、判示の如く本件学力テストの実施が荒尾市教育委員会において決定せられ、右実施につき中学校長に通達がなされ、塚本職員も亦判示の指示を受けていたことの明らかな本件においては、同人らの学力調査用紙等搬入によるテスト準備の共同行為が、正に同人らの抽象的な職務権限に基く執行であつたことはいうをまたない。(二)加うるに、その執行の方法として早朝に行われた事実について見ても、前掲公判調書中証人月田茂馨同今田三七男同塚本知己の各供述記載によれば、(イ)当初の搬入予定が午前六時とせられていたのを、荒尾市教組側の阻止態勢が意外に強固で、不測の事態さえ引起されるおそれが感ぜられた関係上、予定を繰上げ、四時半頃より搬入するものとせられたこと、(ロ)被告人らの阻止に際して、今田教育長が自ら重要な調査のために来校した旨言明し、テスト準備の目的を明らかにしていたことがそれぞれ認められる。してみれば、テスト実施前に関係用紙を秘密且つ安全に保管することが、テストの本質上その公正を担保するにつき極めて重要であることを顧みるならば、同人らにおいて前記の如く早朝これを搬入し校長室に保管しようと試みたことは、まことに緊急やむを得ない措置であつたというべきで、その他記録を検討しても、他にその執行時の条件に格別これを違法視すべき事由はない。(三)次に、該執行の前提たるべき上級機関の措置、関係法令について見ても、前掲証第八五乃至第八八号、第三回公判調書中の証人今田三七男の供述記載、証人古城勤の当公廷での供述によれば、文部省が熊本県教育委員会に対し、昭和三十六年十月二十六日における全国中学校の学力調査結果の報告を求めたので、同年六月九日附で同委員会は更に荒尾市教育委員会に同様の報告の提出を求め、同市教育委員会が判示の如く調査の実施を決定し、同年九月二十五日附書面で管内各中学校長に其旨通達していること、しかも、右実施に際しては事前に県教育委員会、同市教育委員会において夫々説明会がなされ、法的根拠についても一応の説明がなされていることが認められる。そうして、地教行法第五十四条第二項には、文部大臣は教育委員会に対し、道府県教育委員会は市町村教育委員会に対しそれぞれ必要な調査、資料又は報告の提出を求めることができる旨の規定があり、同法第二十三条第十七号には教育委員会は教育に係る調査をなし得る旨の規定があり、第四十三条一項、二項には県費負担職員に対する市町村教育委員会の服務の監督権等の規定があり、学校長には地方公務員として地方公務員法第三十二条による上司の職務上の命令に従わなければならない義務があるとせられている又、教育委員会の事務職員が上司の命に従うべきことについても同条並びに地教行法第十九条第五項に規定がある。そうだとすればこれらの法令に基いて本件学力テストの結果報告が順次に求められ、テストが決定せられ、判示のテスト準備が行われるに至つたと一応解し得る以上、たとえ、これらの法条の解釈を巡つての対立があり、仮に弁護人主張の如く学力テストを以て政治的に不当であり、違憲違法なものであるとの見解が一応あり得るとしても、他面これを適法なものと見る解釈も亦成立し得るし、これを違法無効とする一般に顕著な裁判例も存在しない以上未だ、該職務の執行を一般社会通念より見ても著しく不相当なものとはとうてい解し得ない。結局主張の如き瑕疵の存否にかゝわりなく、前述の理由により本件月田校長らの職務の執行はこれを公務執行妨害罪にいわゆる公務(適法な公務)と解するに妨げないものというべきである。

(違法性阻却事由の存否)

弁護人らは、本件学力テストは元々教育に対する違法不当の侵害であり、これを強行することは結局政府の反動的な政治的弾圧であつた。被告人らの行動は憲法と教育基本法によつて保障せられた民主教育の自由と独立並びに地方公務員法第五十五条に保障せられた交渉権を擁護するために、やむことを得ずしてなされたものであり、その目的において正当であつたばかりでなく手段において必要性、緊急性及び相当性を具えている。しかも教育長校長らが本件によつて失つた法益は、わずかに数米の間における身体の自由の拘束にすぎないから、それは被告人らの擁護しようとした右法益の重大さに比すれば問題にならない程僅少である。従つて、被告人らの行動には刑法第三十五条の正当事由ないしは超法規的違法阻却事由がある旨を強調するので、以下順次検討を加えるのに、

第一、(教育権との関係)一般に学力テストそれ自体は、教師が担当の児童生徒に対し、その教育活動の一環として学力の進展の程度を測定し、或いは教育方針の参考として、その当時における学力を調査するために行う、いわば狭義の教育活動として行われる場合と、入学試験等に見られる如く、もつぱらその時期における学力の水準を調査する目的のために行われる場合とがあるが、後者の場合においてもこれを入学後における教師の教育方針に参考とせられ得るので、広義においてはやはり教育活動の一環と考え得ないではない。ところで、本件において、前掲証第八五号中「全国中学校一せい学力調査実施要綱」によれば本件学力テストは(1)文部省及び教育委員会においては教育課程に関する諸施策の樹立及び学習指導の改善に役立たせる資料とすること、(2)中学校においては自校の学習の到達度を全国的な水準との比較において見ることによりその長短を知り、生徒の学習の指導とその向上に役立たせる資料とすること、(3)文部省及び教育委員会においては学習の到達度と教育諸条件との相関々係を明らかにし、学習の改善に役立つ教育条件を整備する資料とすること(4)文部省及び教育委員会においては、能力がありながら経済的理由などからその進学が妨げられている生徒、あるいは心身の発達が遅れ平常の学習に不都合を感じている生徒などの数を把握し、育英、特殊教育施設などの拡充強化に役立てるなど、今後の教育施策を行うための資料とすること等に在るとせられている。従つて、本件学力テストにおいては、前記の意味における狭義の教育活動の面はこれを従として考えられていることがうかがわれるが、その実施に当つては当然に教師に対し、既に定められた学校における教育課程の一部を変更しなければならない、などの影響を与えるので、このような教育行政の関与が果して教育の自由と独立の侵害となるかについて考えなければならない。

(一)  本来教育においてその自由と独立が保障せられなければならないとせられる所以は、教育には、教育者が被教育者に対して一定の理念を以て働きかける特殊な内面的個人的関係があり、しかもそこには、もつぱら被教育者の人格をその完成した理想像と目ざして育て上げる創造的な作用があるという、特質に渕源している。すなわち、教育の過程においては、常に被教育者の素質や能力に応じてあらゆる機会を促えて行なわなければならない、創意工夫の無限の分野があり、しかも教育の実現しようとする価値それ自体は性質上政治を超越し、且つ、被教育者の一生の運命を支配する程重要なものであるから、教育者の行う教育過程の活動にはどうしても自由と独立の零囲気が認められなければならない訳である。従つて、教育基本法においてもその第十条において、教育は不当な支配に服することなく国民全体に対して直接に責任を負つて行わるべきこと、及び教育行政が教育目的を達成するに必要な諸条件の整備確立を目標として行わるべきことを規定している。(イ)しかしながら、このように文教当局が教育者の使命を考えてその自主性を尊重し、いたずらに詳細に、すみずみまで教育の活動の分野に立入り、命令監督することを避けなければならないとせられているそのことから、直ちに、教育が無政府状態や教育者の気まゝ又は勝手になされることまでも、放任せられなければならないということを意味するものでは決してない。本来教育に従事する者にとつて、このような自由と独立が保障せられるものならば、かえつて教育者には一般国民の場合におけるより以上に、その政治的活動に厳正な中立性を保持すること及び遵法の倫理が要請せられるのであつて、教育もまた民主々義の法的秩序の枠内において行われなければならないことが当然である。(ロ)加えるに、日本国憲法は、なるほど、その第二十三条において学問の自由を、第二十六条において教育を受ける権利と教育の義務を規定し、教育基本法は更に、その前文、第一条、第二条、第十条に、教育の目的を明らかにして教育の自由と独立が尊重せらるべきことを定めているけれども、これらによつてうかゞわれる実定法上の、いわゆる教育権の自由と独立とは、同法権が憲法上行政権や立法権から独立のものとせられているのとは、その性質を異にし、それ程に絶対の自由独立なものではない。してみれば、教育においては、その政治的な中立、即ち、教育内容、教育方法又は教育行政の中立性を侵害する危険がない限りにおいて、やはり教育も亦教育行政の責任を負う者の権限の行使に対しては、当然これを認容しなければならないことに帰する。(ハ)しかし、それでは、教育の活動に対して行政の関与が、果してどの程度まで認容せらるべきかというのに、具体的なその限度は、教育の内容、教育機関の種類等により必ずしも一様ではないが、概して言えば、「学術の中心として広く智識を授けると共に、深く専門の学芸を教授研究し、智的道徳的及び応用的能力を展開せしめることを目的とする」(学校教育法第五十二条)大学において、学問研究の自由が最も尊重せられ、教育活動に対して高度の自由が保持せられなければならないことは勿論であるけれども、それ以下の、普通教育を施すべき高等学校、中学校、小学校の順に、下級の学校に及ぶに応じて漸次制約せられるべきことは、これらの学校における教育の目的及び目標よりしてまことに止むを得ないところであり、これを大学における場合と同一に論ずることはできない。特に、公共団体の設置する小学校及び中学校においては、元々児童生徒の未成熟な心身の発達に応じて、小学校においては初等の普通教育を、中学校においてはそれを基本として、その上に中等の普通教育を、それぞれ施すことを目的とせられている(同法第十七条、第三十五条)ので、おのずからその教育の目標とするところも、被教育者の年令、身心、理解力の発達の段階に応じて具体化せられねばならないが、本来普通教育には次のような特質がある。すなわちそれが教育として最も基礎的なものである関係上、いかなる身分の者に対しても、又どの様な職業の者に対しても同じように近代的社会人として共同生活を営なむ上に共通に必要とせられるものだということである。従つて普通教育は、大都市、農村、工業地域等、どの様な地域に居住する児童生徒に対しても、それゆえに差別があつてはならず、等しくその能力に応じて普遍的に、差別のない水準において行わるべきであり、地域により、学校により教育の水準に顕著な差異がある如き状態は決して好ましいことでない。しかも、このことは子女の教育を行うべき自然法上の権利者である両親を中心とした国民一般の自然な要望と解することができる。(ニ)そうだとすれば、小学校や中学校における教育目標達成の必要上、その教育活動について、日本全国を通じて共通な最少限度の教養につき、大綱の基準を設定する如きは、普通教育の特質より考えてもとより当然であり、子女の両親に代つて教育行政の責任を負うと考えられる国の機関において、右基準を定めることも又、なんら実質的に違法と解すべきでなく、従つて、学校教育法第二十条第三十八条、同法施行規則第二十五条第五十五条等による学習指導要領の制定せられたことを促えて直ちに不当な行政の干渉となすのは当らない。(ホ)それというのも、右指導要領の如きは、あくまで基準とせられるに止まるのであるから、現実の教育においては更に、これに基いて学校毎に教育課程が編成せられる場合、教育上の創意工夫を凝らすことは、その教育目標を誤らない限りにおいてもとより当然に教師の自由に委ねられるところである。そうして、又このような基準に従つて見ても、なお、教育には前記の如く創造的な広範な活動分野があり、その面における教育者の自由と独立とは充分に尊重せられなければならないこと、もとより当然といわなければならないから、若し仮に右の如き教育活動のすみずみまで、干渉があり、教育活動が危険に陥るということになれば、それが国又は公共団体の管理権の作用としてなされようと、或いは民間や教師の団体等を通じてなされようと、等しく教育の自由を侵害する不当の干渉として、これを違法視し得ないではない。

(二)  しかし、本件において、前掲の学力調査実施要領によれば本件学力テストは中学二、三年生を対象とし、五教科につき一日をテストに充てるものとせられている。さればこれが実施によつて影響せられるべき教育課程の変更等も、僅か一日分であるから、これを以て年間の教育課程に格別回復し難い程顕著な悪影響を与えるものとは到底考えられない。元々教育基本法第十条第二項は、教育行政における、教育目的達成上必要な諸条件の整備確立を規定しているのであるから、文教当局が或時期における全国の生徒児童の学力の水準を、学校別に、地域別に一定の基準を以て測定し、具体的な教育諸条件との相関々係を明らかにしようとすることなどは、前記普通教育の特質との関連において、むしろその当然の義務を果すにつき、その前提として、これ又当然に行なうべきものというべきである。そうして、本件テストの実施が荒尾市教育委員会においては地教行法第二十三条第五号、第十七号によるものであり、文部省や熊本県教育委員会の前記報告等の要求が、同法第五十四条第一項第二項の規定に基いたものと夫々解し得るのみならず、右各法条が直ちに教育基本法の精神に反するとはとうてい考えられない。

(三)  従つて以上の諸点を、前掲公判調書中の証人月田茂馨の供述記載と対照して考察すれば、今次の学力テストには、その方法、取扱等に将来なお研究を要すべき点の存することが認められるけれども、その目的とせられるところが、直ちに有害か、又は違法なものであるとなすのは当らない。以上と見解を異にする弁護人被告人らの主張は独自の見解であり、これを許容できないので、このように格別違憲違法でもない学力テストに対し、民主教育の自由と独立とを守るという名目を以て、判示の如き暴力による阻止をしたということは、既にその目的の点において失当といわなければならない。加えるに、その主張するところの多くは、学力テストそれ自体の失当というよりは、むしろその結果の利用方法等に対する行政的政治的見地からの非難であるから、それについて別に、更に方途を講ずる余地がなかつたものとはいえないし、又、文教当局の措置にたとえ不満があるからといつて、直ちに暴力を振つて学力テストの阻止を行うという如きは、健全な社会通念に照してとうてい許容できないところである。従つて、被告人等において主観的には教育の自由と独立を守る目的であつたとしても、判示の如き暴力行為に及んだことは、その手段方法の点において緊急性及び相当性のいずれをも具えない失当のものといわなければならない。そうして又、被告人等の判示所為によつて失われた被害法益の点について見ても、それは弁護人等主張の如く、単に教育長校長らの其際における身体の拘束のみを取上げるべきではない。元々行為の正当性ないし超法規的違法阻却原因の要素として被害法益を考量する場合においては、その行為によつて守られた実質的な利益について考えるのと同じように、それによつて失われた実質的な損失を、私益も公益もすべて含めて観察しなければならないものである。本件において前掲の各証拠によれば、被告人らの判示所為により、今田教育長、月田校長らの学力テスト準備の公務それ自体に妨害の結果が生じたばかりでなく、荒尾第三中学校における学力テストを不能にしたことが明白である。して見ればこの場合における、いわゆる被害法益としては、右教育長校長らの公務のみに止まらず、荒尾市教育委員会、熊本県教育委員会、更に文部省にまで及ぶ文教関係機関の前示教育行政上の調査或いは資料報告等請求の権限が侵害されたことによる影響をも考慮に容れるのを相当とするから、彼此対照すれば、その被害法益は、被告人らの主観的な教育権を守る利益より、むしろかえつて重且つ大であるといわなければならない。

従つて、以上、いずれの点より見ても、弁護人らの、学力テストの違法ないし不当より教育権を守ることを目的とした旨の違法阻却の主張は到底これを容れ難い。

第二、(交渉権との関係)次に、荒尾市教組側が学力テストの中止を要望して再三同市教育長や月田校長等に面会を求めていたことは、証人吉田和男の当公廷での供述によつても明らかであるが、それは学力テストの全面的な中止それ自体を常に問題とせられていたものであつたばかりでなく、元々地方公務員法第五十五条に定める勤務条件に関する交渉権とは、労働組合法において定められた団体交渉権ではなく、従つて、もとよりこれと同一視すべきものではない。本来、同法に基く職員団体の交渉権には、同盟罷業的、怠業的行為その他の脅威を裏付けとする拘束的性質を帯びることは絶対に許されないところである。しかるに、本件において被告人らは、教育長校長らに対しその公務執行中判示のごとく暴力行為に及んだのであるから、右所為はこれを交渉のためになされたものと解しても、又交渉権の擁護のためであつたと解して見ても、前同様その手段方法において到底相当の行為と認めることはできない。従つて、交渉権擁護を理由とする弁護人の違法性阻却の主張もまた到底これを許容することができない。

その他記録を検討しても、弁護人主張の如き刑法第三十五条にいわゆる正当事由ないしは超法規的違法阻却事由を肯認すべき資料がない。

(法令の適用)

被告人らの判示所為は刑法第九十五条第一項第六十条に該当するので、所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期範囲内で被告人瀬戸慶一郎及び同山村美明をいずれも禁錮四月に、被告人内田政友を禁錮三月に処するが、情状いずれも右刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項により被告人らに対し、それぞれこの裁判確定の日より一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文第百八十二条により全部被告人らに連帯して負担させる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 安東勝 松本敏男 畑地昭祖)

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